2011年9月1日木曜日

考える

僕は周りとコミュニケーションを取るのに辟易している.たとえ話で言えば,「トイレに行きたい」と言ってきた相手に,「トイレに行きなさい.」と言うだけでは駄目で,「トイレに行ったら,トイレットペーパーでちゃんとお尻を拭いて,最後は便座をあげておくんだよ.そして水で手を良く洗いなさい.」と言わないと駄目な環境に僕は身をおいている.自分と一緒に働く人を「相当のアホ」と想定して会話しないと,説明していないと責められるのだ.

IV-PCAの話.同僚が大変そうだと思って,IV-PCAを作ってあげたら,その人がPCAの作動開始ボタンを押さなかった.作動開始ボタンを押さなかったのは,第三者が薬液を充填したからだという話になっている.

あるとき,ふと通り過ぎた手術室で若手が苦労していた.見かねた僕はその部屋に入って手を貸し,アドバイスもした.麻酔科医は時として,困難な状況に出会うと助け合う.月光仮面のように現れて,手助けをして,また部屋を去っていく.月光仮面をお互いにやり合い,助け合うのだ.今の職場に来るまでは,そうした同僚の行為を頼もしく思ってきた.しかし,ここは違う.そうした行為を「助けも頼んでいないのに,第三者が勝手に入ってきた.」というのだ.第三者という言葉を僕はここで働くまで使ったことなどなかった.第三者などという言葉は,刑事事件などで誰か特定できないが,事件に関わったときに使われる言葉でイメージの悪い言葉だと思う.それをいとも簡単に,ここでは使っている.こんなことが続く毎日.今日は,そんな理不尽に対して声を荒げてしまった.
45歳で他界した父は,僕が小さい頃に「自分が決めた道は最後までやり通せ.」ということを教えてくれた.しかし,自分が駄目だと思ったときにどう考えたらよいかまでは教えてくれなかった.父親の言葉をかみしめつつ,最後には自分で答えを見つけないといけないのだろう.

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