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2011年9月30日金曜日

国産(フジメディカル)のプローブカバーいざ,市場へ!

フジメディカルが国産プローブカバーを作り,ようやく市場に出回ります.材質の開発にあたっては僕もはじめから関与し,超音波画像の画質に関してアドバイスをしました.現在ある米国産のカバーに比べ,画質は向上しています.価格も500円程度やすくなります.発売前の状況チェックでは輪ゴムが細いという問題がありましたが,それも修正されます.カバーの長さも150 cmと長く,神経ブロックだけではなく,CV穿刺まで視野に入れたものとしています.サンプル提供も可能ということでしたので,興味のある先生は私にメールをくだされば連絡先をお教えします.

念のために,一言加えておきます.僕はフジメディカルからアドバイスにあたり一銭たりとも頂いていません.医療における器材のほとんどが米国産である現在,日本の医師の意見は米国企業は聞き入れません.我々,日本人の意見を取り入れて物作りをしようという医療機器メーカーに協力したかったのです.

2011年9月28日水曜日

オレオレ詐欺を働こうとした君へ

母親に僕の名前を名乗る男から電話があったと確認の電話があった.風邪を引いたと言いながら,僕の名前を連呼した様子.母親の冷静な態度に,その男は突然電話を切ったということだった.

僕の実家は酒類販売業を営み,様々な人を見てきた.他人を平気で騙す人,お金にルーズな人,成金,おかま,ストリッパー.僕も両親の配達を手伝ううちに,この人は信頼して良い人とか注意しなきゃいけない人だとか分かるようになっている.それは理屈というより感覚なのだ.親は相手が何にも言っていないのに,「数日後に夜逃げする可能性が高い,このままだとお金を払わないぞ.」と言いながら,客のお店を見張り,その客から集金することがあった.どうして分かったのかと小学生の僕が親に尋ねたとき,「商売人の感覚でわかる.」と.

商売人として,人を観る洞察力が鋭い親に,人生経験の少ないバカな男がオレオレ詐欺を働こうとしても通用するはずがない.わざわざ,僕の名前まで調べたのに・・・ご愁傷様.ちゃんと働いて,自分の拳で金稼げ.

2011年9月27日火曜日

アラブ首長国連邦の道路

アブダビの道路には信号がありません.アブダビからドバイ水族館までの200 kmを車で連れて行ってもらいましたが,その間,赤信号で車が停車することなど,全くありませんでした.ドバイ市街でも交差点をみることはありませんでした.車が道を変えるときには,ロータリーになっているところをクルクル回りながら方向変換していきます.



奥に見えるのが,日本でいう交差点ともいうべきロータリー.
ここをグルグル回って,方向変換します.

市街地など,あまり車が速度を出すと危ないようなところでは,ところどころで盛り土のような障害物が道路に作ってあります.丁度,車の底面すれすれの高さまで盛り上がっているので,車はここで速度を落とさずに通過しようとすると,頭を車の天井にぶつけるくらいの衝撃が起こります.一時停止するくらい速度を落とさないと安全に通り越すことができないようになっているわけです.歩行者を守るために,運転手が危険な運転をした場合には,運転手が危険な目にあうようになっているわけです.ドバイに行く際に運転手が,この障害物に気づかずに通り過ぎてため,僕は車の中でびっくりするほどの衝撃を頭に喰らいました.
車が速度を出さないように,ところどころに盛り土の
ような障害物が道路上に作られています..

2011年9月25日日曜日

帰国しました.

帰国しました.帰りは偏西風に乗って,11時間程度で日本に到着しました.今度は北京で辛い思いをしないように長袖を一枚持ち込んでのフライトでした.飛行機でいつも思うのは,着陸のために映画がよいところで終わってしまうこと.今回は行きと帰りに映画が同じだったので,行きに見られなかった映画を途中から再生して観ることができました.

帰宅後,新築中の家を見に行きました.家自体の形はすでにできあがり,外装内装に着手していました.外壁や内壁の一部に煉瓦を取り入れたのですが,職人さんが水平器をもって煉瓦を積んでいました.窓枠や部屋枠をペンキ職人さんがペンキを塗っていました.次第に夢が現実になりつつあります.震災後,トイレが手に入らないとフロンヴィルホームズ名古屋から言われていました.便器は言っていたものが手に入るのか心配です.

さすがアラブ.タイルの使い方は最高でした.このトイレ,
床から天井まで真珠のような光沢を持つ青いタイルが貼られていて
とても綺麗でした.新築中の我が家にもタイルを貼りたかったのですが
妻が管理が面倒ということで諦めました.多湿な日本では目地がカビちゃう.
帰宅して2時間足らずで,日曜日に東京でレクチャーがあるので新幹線で東京に.強行スケジュールで体が疲れ気味です.

2011年9月23日金曜日

UAE土産

UAE生活もあっという間に帰国の日を迎えました。帰国の便が真夜中とは知らず、今日帰ることにしたのですが、昨日のワークショップが終わり次第、そのまま帰国にしたほうが楽だった気がします。金曜日はお祈りの日で、お店が休みになります。お土産を買おうと歩いてお店のあるほうへ行きましたが、しまっていました。本当はドバイに行った時に買う予定でしたが、自国の産業がなく、輸入に頼るこの国にこの国らしいお土産がない。土産らしいと思うと、中国人のお店で中国製。買う気も失い戻りました。ガソリンが水より安い国の土産は水道水かもしれません。AA夫婦にも土産を買おうかと思いましたが、なーんもないので困りました。こうなりゃ、空港で探すしかない。

ロイヤルファミリーの治療

ワークショップ終了後にDr Rabiah Noueihedとコーヒーとケーキを食べながらお話をしました.彼女は日本で言えば,いわゆる「宮内庁御用達のペインクリニッシャン」でした.僕が観てきたシェイクザイドモスクは2004年に逝去されたSh. Zayed国王のモスクということでした.シェイクドザイド国王は生前は腎機能が悪く,メイヨクリニックで移植を受けられました.移植を受ける前は透析を宮殿でおこなっていましたが,ある日,背中の強い痛みで公務がまったくできなくなったそうです.腎臓内科医,神経内科医,脳神経外科医,整形外科医などがCT,MRIなどを検索しても腎臓以外は痛みの原因は見つからず,当時メイヨクリニックで医学を学んだ後,UAEに戻っていたDr Rabiahに連絡があったそうです.びっくりして宮殿に行った彼女はいろんな専門医が調べ尽くしたのにと思ったそうですが,MRIを見ながらペインクリニックのことを思いついたそうです.彼女はペインクリニックに興味はあったものの,経験はありませんでした.そこで彼女は国王にトリガーポイント療法を行いながら,背中のマッサージを行い続ける治療を開始しました.数日後,それまで様々な専門医が調べても原因不明だった痛みが消えてしまったということです.
その後,ロイヤルファミリーの痛みの治療を彼女は相談されるようになったそうです.Sh. Zayed国王の妻Sh. Hessaは皮膚潰瘍に悩まされました.その時,彼女がとった治療方針は医学博士号の取得した看護師を皇后の治療に当たらせることでした.その看護師は皇后の専従医師が潰瘍にparticle steroidの局注をしていたのを見て,彼女に直ぐにやめさせて欲しいと連絡を入れてきたそうです.看護師は,代わりにドレーピングと傷の洗浄を行うようにしました.毎日,洗浄を行うことで皮膚潰瘍は治癒したそうです.

彼女のロイヤルファミリーの治療の経験談を聞いて,僕ははっとしてしまった.彼女がロイヤルファミリーを治療するときに,投薬だけでなく,理学療法も含めた広い視野に立って疼痛治療を行っていることが,今の自分には不足していると感じたからです.僕は投薬やブロックに目が向きがちでしたが,もっともっと広い視野にたったペインクリニックに舵をきっていこうと思いました.

TAWAM Hospital式鎖骨下静脈穿刺.

僕が平行法による超音波ガイド腋窩静脈穿刺を説明したら,主催者のTAWAM Hospitalのインド系麻酔科医がTAWAM Hospitalの超音波ガイド鎖骨下静脈穿刺を教えてくれました.良いか悪いかは兎に角,紹介しておきます.

リニアプローブを鎖骨上腕神経叢ブロックのように置き,第一肋骨に乗る鎖骨下静脈を描出します.刺入点は鎖骨の内側1/3のところで,頭側に向かって,鎖骨の下をくぐるように刺入します.超音波画像には,静脈壁を針が貫くところだけが描出されます.

穿刺の仕方は,昔ながらの鎖骨下静脈穿刺と変わらないわけです.この方法の利点は針が頭側を向くので,絶対に気胸のリスクがないという点です.それをTAWAN hospitalの麻酔科医も協調していました.僕もDr Rabiahも,皮膚からターゲットまでの刺入が全く描出されないので,どうなの?的なコメントをしました.別の参加者が,それだったら鎖骨上で穿刺すれば針が描出されるじゃないのと言っていましたが,それでは気胸のリスクがなくならないと彼は強気でした.

思いを達成

この国際会議でずっと気になっていたものがありました.会場にあるイスなんですが,ブランコのようなイスでした.ずっと座ってみたいと思っていたのですが,いつもムスリムの女性が独占しており,座ることができませんでした.ワークショップが終わって,誰にも知られずにひとりで座って楽しんでいました.そしたら,Dr Rabiah Noueihedも来て,2人でブランコイスに座っておしゃべりをしました.

GEの担当の女性が絶世の美女でした.これは絶対に一緒に写真を撮って,みんなの自慢しようと思い,ワークショップ終了後,真っ先に一緒に写真を撮りました.

2011年9月22日木曜日

Fluoroscopistの超音波ガイド胸部傍脊椎ブロック

Dr Amar M Zidanはアメリカ,Texas Southwestern medical centerの准教授でFluoroscopistです.彼が僕に教えてくれた超音波ガイド胸部傍脊椎ブロックは非常に興味深いものでした.骨だけをランドマークにしてきた強者のコメントは僕のようなすべての軟部組織を描出させながら行うUSG-blockerには斬新でした.彼のコメントに対して,彼の考え方は超音波ガイド神経ブロックの考え方ではないと返事をしました.しかし,超音波ガイド神経ブロックに対する現在の常識を普遍の常識にする必要性もありません.発想の転換です.また麻酔とペインクリニックが楽しくなりそうです.

ワークショップ終了

The 2nd International Comprehensive Pain Management Conferenceのワークショップも終わり,全課程が修了しました.ワークショップで使用された超音波診断装置はGEでした.午前中は針の描出を担当しました.僕の平行法で針の描出させる3つのTipsは斬新であったようで好評でした.ここで時間が余ったので,僕の平行法による腋窩静脈カテーテル穿刺の方法を紹介しましたが,これも好評で参加者だけでなく,他のインストラクターにも好評でした.

午前中の部が終了後に,facultyが集まって僕の胸部傍脊椎ブロックの方法を教えて欲しいということでしたので,解説をしました.斬新だったのかもしれません.


午後はChronic painの超音波ガイド手技をやる予定でしたが,急遽,他のインストラクターが来れない状況となり,僕1人で30人を教えることになりました.そこで体幹の神経ブロックの話に切り替え,胸部傍脊椎腔へのカテーテル挿入,TAPブロックで遮断域をコントロールする方法,肋間神経ブロックと胸部傍脊椎ブロックの類似性,腸骨下腹・腸骨鼡径神経ブロックは必要な手技なのかなど,日頃の持ちネタを余すことなく紹介しました.これも予想外に大好評をいただきました.
前列の女性3人は右からDr Rasha S. Jabri, Dr Marie Hanna, Dr Rabiah Noueihed.
後列は僕の左にDrKayode Williams, 右はAmr M Zidan. 左にいる男性4人はワークショップ参加者.

Dubai Aquariumへ

僕の講演が終了した後,主催者のTawan Hospitalの計らいでドバイに連れて行ってもらいました.簡単に書きましたが,ものすごく遠いです.ドバイ水族館では様々なコースの選択ができて,最高額のものだとスキューバ-体験があったりします.僕はUltimate Auarimu Packageといって水槽内のトンネルを通ったり,水槽の上を底がガラスになった舟にのったりするコース,AED100 (日本円で2500円くらい)を選択しました.時間的に厳しかったのでunderwater zooには行きませんでした.
サメを間近で観ることができました.

二日目終了

講演前に記念品を頂きました.

二日目の二つ目の講演も終了しました.前のジョンズホプキンス大学からきた演者が延長しまくりました.座長から時間オーバーだと言われているのに講演をやめない.午前中にも感謝の弁と話のコンテンツを紹介するだけで講演時間の半分が過ぎてしまった演者がおり,座長から注意された結果,話を飛ばしすぎて何を言いたいのかよく分からない講演になってしまった人がいました.それに対して,僕の前の演者は意を介せず,延々と延長.アメリカ人が図太いのか,この人の問題かよく分からない.しかし,この演者のおかげで,僕の講演を少し短くして欲しいと座長から頼まれてしまいました.自分の講演内容を短くまとめる英語力はなく,このために何回も何回も繰り返し,練習をしたのに,調子を狂わされてしまいました.
Dr Rabia Noueihedと記念撮影.彼女は「Dr 塩」発言をした先生です.
女性的やさしさと知性に満ちあふれたTawan hopital,medicine and health scienceの准教授

2011年9月21日水曜日

Dr Philippe Macireとの出会い

神経内注入は安全なんだが,神経束内注入はだめなんだということを論文にしたDr Philippe Macireとアブダビで出会うことができました.その論文がアクセプトされるには苦労があったそうです.
神経内注入に関して質問をぶつけました.やはり,以前,僕がブログに書いたとおりの見解をもっていました.斜角筋アプローチにおける腕神経叢は黒く描出される.これは腕神経叢そのものが神経束になっているので,ここでは神経内注入をしてはならない.しかし,末梢(正中神経や坐骨神経大腿レベルを指さしながら)にいけば神経内注入になっても,神経束内注入にはならない.神経の栄養血管をダメージを少なくするために,注入開始と同時に神経が膨らむ像がでたら,ほんの少し(自分でもどれだけか分からない)針を抜いて神経内注入を続ける.投与量は少なめにする.オンセットが早いということでした.

大事なことは,神経がhypoechoicの面積の占める割合が神経の断面積に対して大きいところでは神経内注入(神経束内注入)をしないということでしょう.

2011年9月20日火曜日

Spinal Cord Stimulation for Cancer-related Pain

僕が参加している会議は痛み全体に関する中東の会議です.今日の中で僕自身が一番,興味をもって聴講したのは,Dr Kayode Williamsの癌関連痛への脊髄刺激電極埋め込み術の話でした.

癌性疼痛への応用はすでに1967年には行われていたそうです.転移性気管支癌と転移性骨盤内蔵癌に使われたそうです.癌患者でオピオイド経口投与でコントロールできない人が10ー15%存在する.脊髄刺激電極は癌性疼痛でも,耐えられない局所的な神経障害性痛をもった患者で,なおかつ精神的に安定した患者に適応があります.さらには,化学療法による神経障害性痛にも有効で,感覚の改善効果があるとのことでした.ただ,癌の進行によって凝固異常があったり,免疫能低下した状態には適応としない点に注意する.

今まで癌性疼痛に対しては,オピオイド,抗うつ薬,抗けいれん薬などの薬物治療が中心で,転移によって,いよいよ疼痛コントロールが不良になってくると,硬膜外カテーテルのポート埋め込み術を行ってきました.時に抗がん剤による神経障害性痛をもった患者が帯状疱疹になってコンサルトがあったりしましたが,抗がん剤による神経障害にはノータッチでした.一つ治療範囲が拡がるやもしれません.癌患者さんがお亡くなりになった後は脊髄刺激電極のgeneratorはどうするのかを彼に質問してみました.患者さんの死後,取り出すケースとそのままのケースがあるようです.緩和治療に携わるので,取り出す場合には家族との有効な関係ができているので問題ないと.むしろ,患者や家族をケアすることことが大事なんだと返事が返ってきました.



Dr 塩

Dr Saltiのことを「サルチ」とずっと発音していました.本人の前でもそう発音して,今まで何も言われなかったのに,今日,他の人にDr Saltiとのことをお話したら,「Dr Salt (塩)? Dr Shibata, He is Dr Salti (サルティ~~)」と指摘されました.Dr Saltiにそのことを伝えたら,何も言わずにニヤとしてました.あ~我こそはローマ字が身についた日本人~.

ちなみに,何故,緑色がイスラム教徒にとって宗教的な色なのかをDr Saltiに尋ねたら,「コーランにも緑色が宗教的な意味があるとは書いてない.自然会の色.単なる習慣さ.」ということでした.

Ultrasound-Guidance in Chronic Pain Medicine

頂いたお題ですが,範囲が広すぎていけません.こんな焦点の絞れないお題は今日の演者の中で僕だけでした.

20分という時間は短すぎて,どの演者も話しきれないという状況が続いていましたが,これだけ漠然とした演題を頂いたのにもかかわらず,非常に基本的な話をして終わった僕はきっかり20分で話し終えました.Ultrasounの利点,欠点を話し,頸椎領域での神経ブロックの話をしたのでした.自分としては消化不良で,自分行ってきた解剖や開発した手技の話ができなかったので納得できませんでした.

この講演の中で唯一,登場した日本人は新潟のジャイアンことY先生でした.USG-RAPMには針を映すトレーニングが必要だ!というところで,ジャイアンの胸部傍脊椎ブロックを鬼の凝視でやっている顔をスライドで提示.ジャイアン,アブダビデュー,おめでとう!!明日はAkiko Akaneのアブダビデューが待っています!!!

明日は胸部傍脊椎ブロックと星状神経節ブロックの話をします.ここで一気に僕らしさを爆発したいと思います.

講演終了後にDr Rasha S. Jabriと記念撮影しました.

いざ鎌倉へ

いよいよ,本番の日がやってきました.アブダビでの二日間はあっという間でした.全くプレゼン練習に割く時間がありませんでした.朝食を食べに行くと,すでに周囲にはホームページでみた人がいっぱいいました.僕は恥ずかしがり屋なので,小さくなって朝食を食べていました.さあ,これから勝負の時です.もう原稿を覚えていたかどうかなんて,問題ではありません.やるしかない!!

2011年9月19日月曜日

有名人に遭遇

ホテルに帰って,明日の発表の練習をしようと思いました.妻がアブダビに行く前に水着を持っていったら?と,旅行カバンの中に入れてくれていたので,どうせならプールで練習しようと,水着に着替えて,原稿を脇に抱えてプールサイドへ.プールサイドで一回,原稿を読んでから,プールで一泳ぎしていました.50メートルほどあるプールで2往復したところで,僕が荷物を置いていたビーチチェアのところに屈強な男が3人ほどいて,ポルトガル語っぽい会話をしていました.ところどころで,ジャポーネなんか言っているので,日本のことを話しているなと思いました.三人のうち,ひとりはどうもよく見たことのある筋肉美だと,そうそうヒクソングレーシーに似ているなと思っていました.あんなけ鍛えるには,どれくらいの筋トレが必要なんだろうなんて思いながら見ていると,ヒクソングレーシー似の男性と目があいました.それにしてもよく似ているなと思いつつ,またプールから上がって原稿を読んでいました.

しばらくすると,突然,プールサイドの係員がプール利用者にピーチのシャーベットを配り始めました.なんで,そんなことをするのかなと思っていたら,最後の最後にヒクソングレーシー似の人のところにいって,「あなたはヒクソングレーシー?」と尋ねていました.ヒクソン似の男性が「ヒクソン」と言ったものだから,僕は思わず目が点.ヒクソン似ではなく,ヒクソンその人だったわけです.アブダビでヒクソングレーシーに出会うなんて,びっくりしました.

Sheikh Zayed Grand Mosque (4 ) ドームの部屋

3つのドームから同じデザインの巨大なシャンデリアがぶら下がっています.この部屋の広さは今まで経験したことがないくらい広いです.福岡や名古屋のドーム球場の横幅より広いと思います.この部屋は絨毯が敷き詰められていますが,この絨毯は1ピースでできていて,つなぎ合わせていないということでした.よく見るとつなぎ目のような盛り上がりがあるので,そのことを聴衆の一人が説明係にいうと,その盛り上がりは礼拝者が一列に並ぶためにある盛り上がりであって,つなぎ目ではないということでした.この巨大な部屋では千人の礼拝者が一度に礼拝をするそうです. 千人の礼拝者は,合図があると1分で綺麗に列をなすそうです.ムスリムの礼儀正しさがなせることだと感心しました.日本人は昔は規律の中にある自由を,いつの間にか北米の個人主義的な自由にすり替えてしまいました.ムスリム達の思う戒律の中にある自由は,昔の日本人が持っていた自由と似ています.

シャンデリアを見ると,緑色の明かりが見えます.緑色はイスラム教にとって,宗教的な色なんだそうです.この中のデザインをしたのがシェークという人だそうです.

Sheikh Zayed Grand Mosque (3 ) 芸術に圧倒

回廊のところで靴を抜いて,裸足で回廊をすすむと,真ん中の四角い部分に部屋があります.部屋といっても日本で言えば小学校の体育館以上の広さのある部屋です.そこに入った瞬間,その芸術的な部屋に圧倒されてしまいます.写真の正面にみえる扉を入ると,3つの巨大なドームが天井を成す,巨大な礼拝場へと続いていきます.

Sheikh Zayed Grand Mosque (2 ) モスクの中央広場

モスクの入り口から直ぐに目に入るのが中央の広場です.ここで二万人の人が毎週金曜日にお祈りをするそうです.この広場は大理石でできていて,大きな花の絵が描かれています.花の名前は聞きそびれましたが,イスラム教における天国の花だそうで,イギリスのデザイナーが描いたそうです.写真で見える回廊のところで靴を脱ぎ,モスクの建物の中へ入っていきます.真ん中にある四角い部分に部屋があります.その奥に3つの大きなドームがありますが,ここはとても大きなひとつの部屋になっており,お祈りをする場所になっています.1996年から建設が開始となり,2003年に建設会社が変わって,当初予定したデザインと変わったモスクになっているそうです.2006年に公開となりましたが,未だ完成しておらず,今後も建設が続くそうです.

Sheikh Zayed Grand Mosque (1) 入り口

午前中は昨夜見学に行けなかったSheikh Zayed Grand Mosgueに行ってきました.一生に一回しか来ないかもしれないので少しは見聞を広めようと思ったからです.

行く前に半袖,半ズボンは駄目よと言われたので,ちゃんとした格好をしていきました.しかし,同じバスに乗っていた白人カップルが見事に半袖,半ズボンでした.同じグループと間違われて,正門からは入れてもらえず,地下駐車場から入るように言われてしまいました.これもよい経験と思って,そのカップルと友達になりながら地下駐車場に行くと,その女性はムスリムの黒い服装を着るように指導されました.僕が「綺麗ですね,お似合いですよ.」と言ったら,モスクの女性係員も笑って,入っていきなさいと言ってくれました.半ズボンの男性は,さらにモスクの入り口でムスリムの白い服装を着るように言われていました.よく見ると,正門から入ることができた女性達も,結局はモスクの入り口でムスリムの服装を着るように指導されていました.半ズボンの女性に対しては特に厳しく対応しているのかなと思いました.モスクに入る際は,女性の見学者は髪を出さないように注意されます.

この入り口でイスラム教の礼儀として服装のチェックをうける訳ですが,ここで待っていれば説明係の人がいろいろ案内してくれます.

それにしても白人グループの服装違反は際立っていました.この人達は何故,こんなにイスラム文化を尊重しないのだろうと不思議でしたが,よく見れば,みんなムスリムの服装を楽しんでいる・・・つまり,ムスリムの服装をさせてもらえるようにわざと半袖,半ズボンで来ていることに気付きました.本当は,僕もムスリムの服が着たかったのにとうらやましかったです.僕はバカ正直だから,チャンスを失うんです.留学のチャンスも失いましたけど・・・

朝食

日本じゃ,お昼ご飯どきだと思います.アブダビは日本時間から5時間遅れていますので,丁度,朝食の時間です.朝食を食べに,ブッフェに行ってきました.日本では食べたことのないものばかりで,何を食べようか悩みました.写真の上にあるのはドロドロに豆が入った汁で,納豆の香りがしていました.発酵した豆をつかったものだと思います.大きな丸皿にあるハムの下にあるものは,ツナサラダのような,ムースのような感触ですが,どことなく焦げた風味があります.2種類あったので,2種類ともとってきました.左の小皿はヨーグルトです.ヨーグルトは多種あり,プレーン,ピーチ,ブルーベリー味が揃っていて,その上にいろんなものをトッピングできるようになっていました.僕はピーチ味を選び,その上にバナナとフレークをのせました.すべて素朴な味わいで,余分な味付けはありません.

午前中は昨夜観ることができなかったモスクに行ってみたいと思います.金曜日は礼拝があるためにノンムスリムは入れないそうなので,今日,時間があるうちに行かねば・・・.ホテルのコンシェルジュにシャトルバスがあると聞いたので,それを予約しました.モスクに入るときは,半袖,半ズボンは駄目だよと教えていただきました.お昼からは,明日のプレゼンの練習にあてようかと思います.原稿を記憶していないのが気がかり・・・

決死の買い物大作戦

今回,facultyに用意されたホテルが5つ星のFairmontホテル.朝食は出るのですが,後は自分で食事をとります.現在,新築中である僕はすでに財産が底をつき,この5つ星ホテルで全食をとり続ける経済的余裕などありません.しかし,さすがに5つ星ともなると,コンビニなどありません.ヒルトンのような便利さはない.このままでは餓死すると思い,iphoneを使って検索するも,小さなお店などヒットするはずもなし.恥を忍んで,同じ東洋人の顔をしたスタッフに食料の買えるショッピングストアはどこか尋ねました.車でいくのかと訊かれたので,on footだと答えると,それなら隣の建物の横にスーというお店があると言われました.心の中で「あんたは話が分かる人だ.さすがだよ.」と感謝しつつ,意気盛んに歩いて行きました.

ところがいくら歩いても,隣の建物が終わりません・・・延々と壁が続いている.途中,何度もタクシードライバーが僕にクラクションを鳴らしながら,乗れ乗れとジェスチャーをしてきましたが,僕はNo thank youと手を横に振り断りました.1 kmほど歩いて,漸く建物がなくなりました.見えてきたのはSoukという名前がついた建物.スーじゃなく,スークという名前で「ク」の音が僕の耳では聞こえなかったのだと,すぐに気付きました.中に入って,直ぐに目に飛び込んできたのはスターバックス.そこで,スタバのサンドイッチとお水を夕食用に買うことにしました.旅行に行く前に下調べをしてくれた妻が「買い物は端数は切り上げらしいよ.」と教えてくれていましたが,日本でUAEのお金を換金すると,大きな額のお札にしか換金できませんでした.大きい額のお札で払ったら,おつりをくれませんでした.このどんぶり勘定が産油国の証だと文化の違いを感じつつ,日本円にしても大した額ではないので,そのまま文化の違いを感じる経験代だと思うことにしました.更に中を散策していると,いろんな人が声をかけてくれて,お店の中に入るように促してくれるのですが,みんな「ニーハオ」と僕を中国人に間違えてきます.「アニョハセヨ. I am a Japanese.」と訳の分からない返事をしておきました.うれしいことに,この建物の中に日本で言うコンビニのようなお店もあり,そこでジュースとパンとポテトチップスを購入しました.これで,しばらくは大丈夫だと意気揚々と帰路につきました.ところが,途中から何故か,体がよろめくようになりました.はじめは,履いているMBTシューズのせいかと思いましたがどうも違うような気もする.しかし,次第に頭がぼーっとし始めて,ようやくこれは熱中症になりかけているのだと気付きました.タクシードライバーが何度もクラクションを鳴らして僕に近づいてきた理由を悟りました.アブダビのお天道様を舐めてはいけなかったのです.UAEは道ばたで飲水食をしてはいけないと地球の歩き方にあったような気がしましたが,命のほうが大事だと思って,スタバで買ったお水を道ばたでこっそりと飲みました.結局,ホテルに着いたころには汗だくになっていました.Dr Saltiにも,あやうくheat strokeになりかけたと話したら笑われました.

Dr Ammar Saltiと再開

Ammar Salti先生と会う約束をしていました.お昼過ぎということでしたが,仕事が忙しかったらしく,夜8時半(日本時間の深夜1:30)に会いました.Salti先生は香港で僕に参加しないかと声をかけてくれた人です.夜遅かったので,ホテルの窓から見える綺麗なモスクの側まで車で連れて行ってくれましたが,中に入ることはできませんでした.そのモスクは10年の歳月をかけて,4年前にようやく完成したモスクということで,遠くからみてもとても綺麗な建物です.モスクを外から眺めた後,静かなアラビア音楽が流れるレストランに連れて行ってもらいました.中に入ると,水タバコを楽しむ人達もいました.コーヒーが有名ということで,アラブでしか味わえないコーヒーはないですかとお願いしました.こちらでは,コーヒーを頼むときに,砂糖の分量をhalf, midiamとあらかじめ伝えておきます.

こちらでは信号がないと先のブログで書きましたが,郊外に信号がないようで,市内はあるそうです.それでも交通事故が起きないのが不思議だと彼に話したのですが,帰り道に交通事故を目撃.やっぱり交通事故も起きることが分かりました.

2011年9月18日日曜日

Abu Dhabiに到着!

Ethihad航空のビジネスで14時間かけてAbu Dhabiに到着しました.直行便と思い,軽装で飛行機に乗り込みましたが,深夜の1時に北京に着陸し,1時間ほど機内で待たされることに.しかし,飛行機の扉は全開の状況で,北京はとても寒く,みんな防寒着を着て清掃やら整備をしている.そんな中,僕は半袖の薄着で寒さをこらえながら待たされることに.鼻水は出てくるし,トイレに行きたくなっても保安上の理由でトイレを使わせてくれないわで,散々な目に.
しかし,その後は機内でゆっくり過ごしながら,いつの間にかAbu Dhabiについてしまいました.

空港で出迎えの病院職員の人に車で送迎してもらい,Fairmont Bab Al Bahrホテルに到着.朝7時にホテルに着いたのにチェックインできてしまったことには大変驚かされました.さずが5つ星です.部屋はモスクがみえる見晴らしのよいお部屋でした.

市内を車で走って気付いたことですが,信号が全くありません.交差点はロータリーになっていて
片側3ー4車線あっても,みんなクルクル回りながら器用にお互いを認識しながら,方向変換していました.よく事故がおきないと感心してしまいました.

2011年9月17日土曜日

神様降臨

アブダビ行きの飛行機に乗るまで数時間.ようやく降りてきました・・・学会の神様が

2011年9月15日木曜日

当たり前になってしまうと

アブダビの準備をしていますが,はかどりません.何故はかどらないか?自分では当たり前になってしまったことをことさらに大きく取り上げて話をする気力がないから.相手が何を求めているのかさえ分からないほど,自分にとって神経ブロックは当たり前になってしまった.

2011年9月13日火曜日

ドバイではなく,アブダビでした.

UAEで行われるPain Management Conferrenceはドバイではなく,アブダビでした.Ultrasound-guidance in chronic painという非常にアバウトな演題を頂きましたのでスライド作りに難航しております.もともとはTPVBで話をしてほしいと香港で言われたのでOKをしました.そこに,SGBもできるよとお伝えしたら,なぜかTPVBとSGBを20分で,Ultrasound-guidance in chronic painを20分で講演するように依頼がきました.この講演はスライドを提出してからでないといけませんでした.はじめはTPVBとSGBについてスライドを提出しましたが,後になって講演内容の変更依頼がきて,それに対してすぐに対応ができませんでした.結局,今になってスライドを作っている次第です.どの程度,超音波ガイド神経ブロックに精通した人がくるのか全く分からず,スライド作りが今止まっています.とりあえず,まだ使ったことがない人向けに話そうかと思います.スライド作りの神様が降りてくるまで,来週までしばらくブログを休みます.

2011年9月11日日曜日

手術中の痛みは取らないといけないか?

昨日の東海北陸支部地方会でレミフェンタニルのメガドーズ投与を主体にmultimodal analgesiaをすれば,術中の侵害刺激を押さえ込み,早期離床と早期経口摂取が可能になるかもしれないという具体例をあげた講演があり,非常に興味深く拝聴しました.

麻酔科医によって麻酔方法はかなり違います.神経ブロックや麻薬の使用方法の話に対して,「全身麻酔中に痛みをとらなきゃいけないのか?」と質問があります.この質問をされる人の多くは,全身麻酔の鎮痛,鎮静,筋弛緩の3要素のコントロールこそが麻酔を維持するうえで重要であると主張されます.ただ,その主張にも幅があり,鎮痛主体に適切に鎮静を維持する麻酔科医もいれば,鎮静主体で区域麻酔や麻薬などほとんど使用しない麻酔科医もいます.

僕自身のこの質問に対して,どう答えているかというと・・・全身麻酔中に痛みはあってはならない.

なぜなら,痛み(痛覚)というのは,侵害刺激が末梢神経,脊髄視床路を通り,大脳皮質へ大脳辺縁系に伝わって,人が「不快」と認識することで生じる感覚です.つまり,全身麻酔中に痛みがあるということは,患者が術中覚醒していることが前提となります.適切な鎮静レベルが維持されていないわけです.

この質問は,正確には「術中の侵害刺激を押さえ込まなければならないか?」ということです.侵害刺激は神経系を介して伝達される以外に,炎症性サイトカインなど循環系を介して伝達されます.よって,区域麻酔だけしても痛覚過敏は抑えられません.それがmultimodal analgesiaが推進される理由です.preventive analgesiaという概念があり,これは慢性痛への移行を予防するために作られた概念です.痛覚過敏の形成期と再燃期に,侵害刺激をしっかりと抑制することが,急性痛を慢性痛にしないために重要ということです.術中に侵害刺激を押さえ込むべきかの議論は今まで,急性痛を慢性痛にさせないという土俵で使われてきました.

夢のような鎮痛法として紹介される硬膜外麻酔自身,そのほとんどは鎮痛不充分でソセゴン&アタPを打たれ(ある意味,multimodal approach?),時に血圧低下で中止され,その恩恵を預かる患者はごく一部です.レミフェンタニルのメガドーズ投与が術中の侵害刺激を完全に押さえ込み,それが患者の早期離床,早期経口摂取につながるかは検証結果をもう少し待たなければならないのだと考えます.

2011年9月10日土曜日

日本麻酔学会東海・北陸支部第9回学術集会

今日は,日本麻酔学会東海北陸支部第9回学術集会がありました.僕は,AA先生,N先生,H先生の発表準備に関わりました.3人とも自分で文献を調べ発表しましたので,僕はほとんど手を加えませんでした.僕が3人にアドバイスしたことは,「聴衆はゴタゴタ書いても読まないし,聴かない.電車の広告刷りみたいに,もっとシンプルにメッセージを伝えられるように不要な情報を省け.」でした.自分の力で抄録から文献検索,ポスターまで作成した彼らは,自分たちの言葉でしっかりと質問に答えていたので良かったと思います.突っ込みたくなるような返事をしてしまった部分もありますが,それもよい経験です.

個人的は何人かの先生に声をかけて頂きましたが,座長を勤める前だったりしてあまりお話ができませんでした.すいません.最近はAA先生に声をかけてくれる先生も多く,彼女もいろんな人と知り合えて楽しそうです.

余裕で発表しているAA先生


超音波ガイド神経ブロックでの局所麻酔薬使用量

Regional Anesthesia & Pain Medicine 2011;36:393-398で超音波ガイド法で局所麻酔薬の使用量を減らすべきかを問う論文が掲載されています.

足関節手術を受ける患者を対象に,ankle blokを超音波ガイド法(USG)で実施される群と従来のランドマーク法(Landmark)で実施する群に分けて比較をしています.超音波ガイド法では0.5%ロピバカインの平均使用量は16 (2.1) ml,盲目的手技では30 ml使用しています.術後はアセトアミノフェン,ジクロフェナックを定期投与して,トラマドールをレスキューとして使用しています.

PACUでのブロックの成功率は両群とも同じで有意差がありません.しかし,術後24時間の平均ペインスコア,安静時最悪ペインスコア,トラマドール使用率は盲目的手技のほうが優れていました.

 PACUでのブロック成功率:USG vs Landmark ; 89% vs 80%
 術後24時間の平均ペインスコア:USG vs Landmark ; 1(0-4) vs 0 (0-2)  
 安静時最悪ペインスコア:USG vs Landmark ; 1 (0-6) vs 0 (0-2)  *median(10-90th percentiles)
 トラマドール使用率::USG vs Landmark ; 50% (34-46%) vs 20 % (10-36 %)  * (95%CI)

この論文では,我々が「超音波ガイド法では局所麻酔薬の使用量が減らせて,作用時間が長い」と思い込んだMarhoferらの臨床研究(腋窩神経ブロックにおける超音波ガイド法とランドマーク法の比較)が,作用時間を比較するには検出力が17%しかないことを考察しています.使用量を減らせることは事実としても,作用時間については鵜呑みにしてはいけないわけです.

局所麻酔薬が“末梢神経で痛覚の伝導を遮断する”作用と“血管内吸収後の全身作用による鎮痛”の二つの作用と持つと考えれば,この論文の結果には納得ができます.別の観点からみれば,麻酔のエンドポイントをどこに置くかで求める結果は違ってきます.手術麻酔を完遂できればよいと考えるなら,使用量を減らすことに意義があると思いますし,術後鎮痛としても期待するのなら,使用量は減らさないということのほうが大事でしょう.

2011年9月9日金曜日

アブドーラザブッチャーとタイガージェットシン

AA先生にアブドーラザブッチャーとタイガージェットシンの凶悪ぶりをいくら説明しても理解してくれません.良心の塊でできているAA先生には,かつて,このような凶悪なプロレスラーがいたことなど知るよしもありません.

タイガージェットシンはいつもサーベルを持って,アブドーラザブッチャーは太った体にフォークを忍ばせて.この2人には良心の呵責などありません.通常,プロレスでは選手の紹介から始まるのですが,この2人の試合では選手紹介はありません.リングに上がるや否や,相手レスラーを凶器で叩きのめします.リングサイトの紐,観客が持ってきた傘など,なんでも凶器にして,酷いことをします.レフリーもチェックするふりはするものの,彼らの悪行に気付かない(気付かないふりをしている).小学生だった僕はテレビに向かって,「ほら手にフォークをもってるよ.どこ観てるの,レフリー!!」といつも絶叫していました.しかも,アブドーラザブッチャーの靴先と偽ウルトラマンの靴先が一緒なために憎悪感は倍増.

恐らく40代の男性がアラブ人とインド人が怖いと思うのは,この2人のせいだと思うわけです.

2011年9月8日木曜日

スタンハンセンとブルーザブロディ

ジャイアンもAA先生も,みんな,スタンハンセンとブルーザブロディがよく分からないと言います.
僕が小学校中学年のとき,日曜日になれば全日本プロレスが放送されていました.当時はプロレス全盛期でした.アントニオ猪木は新日本でしたが,いろんなマスクを被ったプロレスラーが出てくる全日本プロレスが僕は大好きでした.そんな全日本で暴力的だったのが,スタンハンセンとブルーザブロディの2人.リング入場では,ハンセンはロープを振り回し,ブロディはチェーンを振り回し,観客に暴力をふるいながらリングに上がってきます.ブロディなんか,髭もじゃで靴も毛皮がついて,リングに上がると,いつも「ウォ,ウォ」と吠えて野獣のようでした.2人のやることはメチャクチャで,場外乱闘は当たり前・・・でもメチャクチャ強い.ハンセンはウェスタンラリアット,ブロディはキングコングキック.僕は強引ながらいつも勝ってしまう2人が好きでした.2人のハチャメチャなプロレスは,ブロディが同僚にナイフで腹部を刺されて殺されたことで終わりを向かえてしまいます.

2011年9月7日水曜日

ホームページを立ち上げず,誠に申し訳ありません.

名古屋大学超音波ガイド神経ブロック教育プログラムに参加したいという若手麻酔科医の熱心さに動かされて,上司の先生方が私に連絡をしようとも,問い合わせ先が分からないというご連絡を頂きました.新潟のジャイアン先生のときもそうでした.

一時,AA先生とホームページをちゃんと作ろうという話になったのですが,香港講演をしたときに写真を撮って,それをホームページに飾ろうなんて話も出たのですが,あまりよい写真が撮れず,結局,ホームページの話は流れてしまいました.現時点で,直接,名古屋大学麻酔科にご連絡を頂くか,私のブログ上で連絡を頂くか,ソノサイトなどの超音波機器メーカーを通じてご連絡いただければ幸いです.

科長,医局長の先生方には大変ご迷惑をおかけして,本当に申し訳ありません.

過敏性腸炎の原因

目下の所,私の過敏性腸炎の原因はこれ→http://www.tawamhospital.ae/painconf/

今回はAA先生も来てくれません.どうしよう・・・・心配だ.あっ.お腹が・・・

2011年9月6日火曜日

末梢神経ブロックは二度,体を癒す

末梢神経ブロックは,二度,体を癒してくれます.一度目は神経遮断作用により痛みを取ってくれます.二度目は血管内に吸収されて全身作用により痛みを取ってくれます.胸部傍脊椎ブロックにおいては,乳がん患者の術後の転移や浸潤を抑える効果が指摘されており,心理的な痛みも取って,三度,体を癒してくれるのかもしれません.

超音波ガイド神経ブロックでは局所麻酔薬の使用量を減らせることで,局麻中毒を回避できることを良しとしている文献が散見されます.手術麻酔を完遂するというエンドポイントであるなら,それもよいと思いますが,局所麻酔薬使用量を減らせば,全身作用による鎮痛が弱まり,従来ほどの鎮痛効果は望めないと思います.僕は,超音波ガイド法だからと言って,局所麻酔薬の使用量を減らそうと思ったことはありません.二度目の鎮痛効果を期待するからです.減らさなかったからと言って,局麻中毒が起きやすいとも感じたことはありません.みなさんは,どう思いますか?

2011年9月5日月曜日

マイクロコンベックスを使用した超音波ガイド星状神経節ブロック(3)

マイクロコンベックスプローブをつかった平行法による超音波ガイド星状神経節ブロックでよく質問される問題の一つとして,針を刺入するスペースがないということです.これがきっかけになって,交差法でやってみたり,プローブの外側から刺してみたり,矢状断面を出してやってみたりと,マイクロコンベックスプローブを使っているにもかかわらず変法が生み出された原因になっていると思っています.僕がマイクロコンベックスを使うことを思いついたきっかけは,いかに盲目的アプローチと同様の手技になるかを意識したからでした.そういう意味で,マイクロコンベックスプローブを使った平行法による超音波ガイド星状神経節ブロックに変法が生まれてしまったことが残念です.下の写真は昨日,提示したものと同じです.このときのプローブの角度に注意してください.矢状断面に対して,プローブが外側に傾いています.針が刺せないという人に,プローブをどうあてているか質問すると,必ずプローブが矢状断面と平行,もしくは矢状断面より内側に傾いています.それでは気管とプローブの間から針を刺入するスペースをつくることはできません.

それと気管の位置に注意してください.患者さんにプローブを押し当てて「痛い」と言われる人は気管が反対側に変位しているはずです.つまり押しすぎ.僕がプローブをあてた気管は反対側に変位していません.ジャイアン,K先生ともにプローブのあてる力が強すぎると,患者さんからフィードバックを受けていました.余分な力を抜くためには,自分の首で練習しないと無理です.力加減も分からずに,マイクロコンベックスプローブを使っても,僕の言っている超音波ガイド星状神経節ブロックは理解できません.

2011年9月4日日曜日

謎の微笑み

今日,台風が弱まったところで家族で近くのショッピングモールに行きました.妻や子供達とサーティワンのアイスクリームを食べていると,30代の女性が突然,僕に恥じらうように微笑んできました.僕は自分に微笑んできたとは思わず,その女性の顔を見ていました.その女性は別の方向を一瞬見たのですが,再び僕のほうをみて微笑んできましたた.そして,小声で「お疲れ様です.」と言われました.

僕はスプーンを口に入れたまま,ポカーンと口を開けっ放し状態に.同時に,自分に関わったた女性すべての顔を自分の記憶ノートを開いて,その女性を探していました.しかし,その女性がだれか全く分かりません.自分が今まで勤めてきた病院の看護婦さんの中にはいない・・・.僕が微笑みにどう反応してよいか分からないでいると,その後からきた彼女の旦那さんらしき人が,「おまえは誰だ?」光線を目から放ちつつ,僕の顔を見てきました.謎の微笑みに面食らった上に,雄の縄張り争いに発展しそうな状況に,僕は「私はあなたの奥様を存じません.」光線を目から放ちました.

その女性と旦那さんが通り過ぎた後に,妻が「本当に誰かわからんような顔してたね.」と笑っていました.嫉妬に駆られる女性を嫁にしなくて良かったと,謎の微笑みに翻弄された僕は思った次第です.

マイクロコンベックスを使用した超音波ガイド星状神経節ブロック(2)

マイクロコンベックスプローブを使った星状神経節ブロックではよく相談うけることは,右側のSGBで総頚動脈を外側に牽引できないことです.これにはコツがあります.C5レベルで左中指で総頚動脈をよけて,その上にマイクロコンベックスプローブを押し当てます.あとはC6,7に向かってプローブを下げていきます.C7を確認し,再度プローブを頭側に上げていき,C6にプローブを固定します.
まずは指で総頚動脈を外に牽引
最後にプローブをできたスペースに押し当てます.

2011年9月3日土曜日

マイクロコンベックスを使用した超音波ガイド星状神経節ブロック(1)

マイクロコンベックスプローブを使用した超音波ガイド星状神経節ブロック.C6レベル頸部横断面像を描出し,気管とプローブの間から平行法で刺入していきます.

この方法は,頸部重要構造物と針の位置関係を正しく認識できるので血管や臓器損傷のリスクがありません.星状神経節の合併症は深頚筋膜を境に前後どちらに注入されたかだけでなく,内外側のどちらに拡がったかで決まってきます.よって安全性と確実性を確保した方法は,マイクロコンベックスプローブを使用し,水平断面像を描出して,平行法で刺入する方法ありません.僕が超音波ガイド星状神経節ブロックを発表して以降,さまざまな変法が発表されてきましたが,どれも安全性と確実性のすべてを確保したものはありません.

リニアプローブを使用する方法も海外では報告されています.この方法は.C6レベルの頸部水平断面像を描出し,プローブの外側から平行法で刺入する方法です.この方法の強みは,どこの施設にでも配備されているリニアプローブを使えるという点です.それと動脈を牽引する必要がないという点です.逆に弱点は,椎骨動脈走行異常を認める症例に対して,アプローチができないという点です.椎骨動脈走行異常症例は,椎骨動脈がC6横突起前結節の直ぐ内側を上行します.よって,リニアプローブの問題点は,プローブの外側から刺す針では,椎骨動脈をよけられません.

2011年9月2日金曜日

防災ずきんは必要か?

子供の小学校から防災ずきんを購入するように指導がきました.防災ずきんとは,普段は座布団として使用し,災害時には,頭からかぶって逃げる頭巾です.今は防災ずきんといいますが,もとは戦争中の防空ずきんの名残です.これって,災害時に何の役に立つのか全くわかりません.座布団程度のもので,頭を保護できるはずがありません.頭を保護する目的であるのなら,ヘルメットを用意すべきです.考えるに,太平洋戦争中にアメリカのB29が落とす焼夷弾による大火災から逃げる際に,髪の毛や顔が焼けてしまうのを防ぐのが一番の目的だったのでは・・・.防空ずきんの本来の目的は戦争体験をしたご年配の方に訊かないとわかりませんので,何とも言いようがありません.ただ,東日本大震災の経験からすれば,防災ずきんは必要ないと考えます.阪神大震災のときのような家屋倒壊が今の建物では,ほとんど起きない.それに建物崩壊したなら,防災ずきんでは頭は守れない.東日本の学校を映した映像では,学校の棚にヘルメットが置かれていました.いつまでも,防災ずきんなんて言っている程度ではいけないと考えます.そんなうんちくを述べた僕ですが,春に来たPTA役員の依頼を開口一番で断ってしまいました.

2011年9月1日木曜日

TOTOのお風呂

新築中の家のお風呂をユニットバスにしたら,天井高が196 cmで僕の身長より12cmしか高くなく,立ったままシャワーを浴びることができない状況でした.天井高の高さについてのTOTOのショールームでも,打ち合わせでも話がなかったため,さすがの僕も苦言を呈しました.それ以来,僕の心はずっと空虚感が漂っていました.今日,ようやく新しいお風呂を入れてもらいました.天井高が220 cm.お風呂の天井を見て,ようやく気分が晴れました.シルバーパインの床材も入り,螺旋階段の作成が始まりました.家はほとんど1人の大工さんが作っています.床材の貼り方や螺旋階段の作りを見ていると,大工という職人の技に感嘆します.フロンヴィルホームズ名古屋の抱える大工さんの技術の高さに感服しながら,帰宅してきました.

薪ストーブ

新築中の家には薪ストーブを入れることにした.今年は雨の日が多く,予定より大幅に進行が遅れているものの,着実に家が本来の姿を現しつつある.完成すれば,すぐに薪ストーブを使うことになるので,早くも薪を予約した.今年は薪割をして,薪を乾燥させるスペースもないので,完全に割って乾燥させたナラの薪を岐阜県美濃加茂の業者に依頼しました.来年からは玉きりされた薪を購入して,自分で薪を割りたいと考えている.薪割斧も何がよいかいろいろ検討中.もし薪を自分で割っている麻酔科医がいらっしゃったら,どの斧がよいか,アドバイスをお願いします.

考える

僕は周りとコミュニケーションを取るのに辟易している.たとえ話で言えば,「トイレに行きたい」と言ってきた相手に,「トイレに行きなさい.」と言うだけでは駄目で,「トイレに行ったら,トイレットペーパーでちゃんとお尻を拭いて,最後は便座をあげておくんだよ.そして水で手を良く洗いなさい.」と言わないと駄目な環境に僕は身をおいている.自分と一緒に働く人を「相当のアホ」と想定して会話しないと,説明していないと責められるのだ.

IV-PCAの話.同僚が大変そうだと思って,IV-PCAを作ってあげたら,その人がPCAの作動開始ボタンを押さなかった.作動開始ボタンを押さなかったのは,第三者が薬液を充填したからだという話になっている.

あるとき,ふと通り過ぎた手術室で若手が苦労していた.見かねた僕はその部屋に入って手を貸し,アドバイスもした.麻酔科医は時として,困難な状況に出会うと助け合う.月光仮面のように現れて,手助けをして,また部屋を去っていく.月光仮面をお互いにやり合い,助け合うのだ.今の職場に来るまでは,そうした同僚の行為を頼もしく思ってきた.しかし,ここは違う.そうした行為を「助けも頼んでいないのに,第三者が勝手に入ってきた.」というのだ.第三者という言葉を僕はここで働くまで使ったことなどなかった.第三者などという言葉は,刑事事件などで誰か特定できないが,事件に関わったときに使われる言葉でイメージの悪い言葉だと思う.それをいとも簡単に,ここでは使っている.こんなことが続く毎日.今日は,そんな理不尽に対して声を荒げてしまった.
45歳で他界した父は,僕が小さい頃に「自分が決めた道は最後までやり通せ.」ということを教えてくれた.しかし,自分が駄目だと思ったときにどう考えたらよいかまでは教えてくれなかった.父親の言葉をかみしめつつ,最後には自分で答えを見つけないといけないのだろう.

ドバイに向かって走れ!

9月になりました.そろそろドバイの準備をしなければなりません.9月17日出発で,24日に帰国します.実はドバイとありながら,会場はアブダビです.ドバイとアブダビの区別も付かない僕は,ドバイからアブダビが2時間ほどの距離があると向こうの先生から知らされました.無事たどり着けるのか?考えるだけで,過敏性腸炎になりそうです.