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2012年1月23日月曜日

F先生の近況

昭和大学横浜市北部病院からきたF先生がきて,3週間.1月第1週は3日しかありませんでしたので,実質2週間程度.その間に行ったブロック数は61.F先生のブロック経験数は限りなくゼロに近かったので,ブロック症例数を増やすことより末梢神経ブロックを取り入れた開腹術,開胸術,整形外科手術がどんなものであるかを理解してもらうことを中心に,ゆっくりしたペースで研修を始めました.それでも実質2週間で61ですから,それなりのペースにはなっています.本日のブロック数は7つですので,すでにハイペースの状態になりつつあります.手術麻酔のブロックはそれなりにこなしていますが,ペインクリニックでブロックが適応となる患者さんがたくさんはいません.現状では,SGBや頸椎椎間関節ブロックを経験してもらっています.

本日,持続傍脊椎ブロックをしているF先生.どうやら横浜市北部病院の
関係者のみなさんが僕のブログを読んでいるということがわかりました.
F先生の近況を書かないと,不満が募ってはいけませんので,本日はF先生
特集としました.
超音波ガイド神経ブロックの技術はというと・・・驚くスピードで上達しています.当初,観察された針先を途中で見失うことも,ほとんどありません.まだ,針の刺入と同時にプローブが動いてしまうことがあり,そのようなときは手技に時間がかかってしまうこともあります.自分がこれだ!と思う勝負画像の中に針を描出させてく技術の重要性を認識している毎日です.プローブが大きく動かなくなり,勝負画像上に針が出るようになると,「僕ならここに針先をもってくるな」という刺入経路の会話ができるようになるのですが,まだ,そうした会話は多くありません.2ヶ月目に入って,どこまで上達していくか,さらに楽しみです.

2012年1月19日木曜日

NASAテクニカルライティングの改訂増補版

以前,ここで紹介した岡山大学非常勤講師の片岡英樹先生の「NASAに学ぶ 英語論文・レポートの書き方 -NASA SP-7084テクニカルライティング」が改訂増補版がでるそうで,予約販売が始まったようです.片岡先生からメールがあり,pnbsivaイチ押しのテキストですので,ここで紹介させていただきます.


http://www.amazon.co.jp/NASA%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6-%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E8%AB%96%E6%96%87%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%9B%B8%E3%81%8D%E6%96%B9-%EF%BC%8DNASA-SP-7084%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%8D-%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BBK%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB/dp/4320005880/ref=sr_1_6?ie=UTF8&qid=1326894042&sr=8-6

2012年1月12日木曜日

ハムファントムの重要性を認識

昭和大学のF先生がブロックの研修に来ています.彼女はブロックの経験がほぼゼロという状況でしたので,こちらに来る前も,来た後もハムファントムで描出する練習をしてもらいました.単にハムに穿刺するのではなく,どれくらいのdepth設定で,どのあたりに向けて穿刺した状況をシミュレーションすればよいか,あらかじめ伝えていました.ブロック経験があった先生達より,癖がない分,画像描出能力の上達は早いです.針を刺入する際に,皮膚を動かしてしまうことで,走査面と刺入点のアライメントがずれてしまう問題が当初はありましたが,かなり修正できています.その結果,針がより描出できるようになってきています.あとはプローブの固定がしっかりとすれば,より容易に針を描出できるようになると思います.改めて,ハムファントムで練習しておくことの重要性を感じました.

2012年1月11日水曜日

ノロウィルスに翻弄された一日

昨日,朝6時に突然と自分の携帯がなり,息絶え絶えの声で助けを求める電話がありました.すぐに一人生活をしている自分の母親だと気づきました.どうしたのか尋ねると,どうやらノロウィルス感染にかかったようでした.前日の夜9時頃から下痢と嘔吐の症状が出現し,いつもお世話になっている個人経営の総合病院はバイト当直医がお間抜けだったようで,母親に対して夜間対応もしてくれると病院長がおしゃっていたにも関わらず,夜間受診を拒否したとのこと.すでに全身の力もぬけて,トイレにも行けないということで,かなり全身状態の悪化が予想されました.とりあえず,日頃家にストックした治療薬をもって,車に乗り込みました.名古屋の家から岐阜の実家までは車で1時間以上はかかります.その日はバイト日だったので,休むわけにもいかないし,かといって母親を放ってはおけません.仕事と母親の看病という両方をこなすには,かなり時間的に厳しい状況でした.
岐阜に入る手前で交通渋滞に巻き込まれ,車と車の間を割り込みながら,先を急ぎ,実家にたどり着いたのが朝7時半.すぐに母親の全身状態をみました.かなりの脱水状態で,一通りの処置を行い,漢方薬としてツムラの真武湯をお湯にとかして,チビチビ飲むように伝えて,勤務先の病院に向かいました.途中,T部長に事情を説明し,麻酔の導入に間に合わないかもしれないと伝えたところ,やっておくと優しい返事.T部長にはいつも助けてもらって感謝です(T_T).電話の後は,高速道路をいくら料金がかかろうと,ばんばん走って,名古屋城隣にある勤務先へ急ぎました.麻酔の導入に間に合わないかと思いましたが,患者さんが入室され,モニターを装着しているところに飛び込むことができました.ぎりぎりセーフ!!仕事の合間も,母親の状態が問題ないか,何度も母親の携帯に電話をし,無事を確認しました.夕方5時過ぎに,仕事が終わり,そのまま岐阜の実家に直行し,夜8時過ぎに,母親を再度診察しました.母は,依然として,かなりの脱水状態でした.肌は干し柿状態で,つねると,肌がつねった状態のままで戻らない.訊けば,丸一日尿も出ていないということがわかり,これはいけないと思い,処置をしつづけました.僕の処置が幸いして,夜10時過ぎにようやく尿が出始めました.腸内細菌を整えるためのヤクルト飲料を買い,お粥もつくり,家中の消毒を行って,名古屋に帰りました.僕が帰る直前に,母親をいつも診てくれている主治医から電話があり,昨夜の不適切な対応に対する謝罪の電話でした.その電話には,少し正気が戻った母が出て,僕は応対しませんでした.個人経営の総合病院にお気楽バイトで来ている当直医が,重篤な脱水状態の患者を適切に処置できるとは思えなかったからです.


新潟 豚(トン)喰う?

昨日,日本語が全くわからない中国のご老人の整形外科手術を管理しました.手術後に「あなたは痛みをかんじますか?」とどう尋ねたらよいかをGoogle翻訳で調べたところ,「你感到痛苦?」と出てきました.発音の仕方もチェックすると,「新潟,豚(とん)喰うう?:にいがた,とん,くうう?」と聞こえました.そこでジョン万次郎みたいに「新潟,豚喰うう?」と質問してみたところ,ものの見事にご老人は無視・・・通じませんでした.がっくりorz

2012年1月4日水曜日

名古屋大学超音波ガイド神経ブロック教育プログラム 第5期開始

仕事始めの今日から昭和大学横浜市北部病院のF先生が教育プログラムに参加されます.F先生は,ほとんどブロックをしたことがないということでした.こちらに来る前にひたすらハムファントムを使った平行法のトレーニングをしてきてもらい,今日を迎えました.まずは他の先生のやっているところも観てもらいながら,徐々にペースアップしていこうと思います.そうは言っても,持続胸部傍脊椎ブロックや乳児へのsubcostal TAP blockは来た初日にやって頂きました.

傍脊椎ブロックとプローブ固定

旭川のO先生や昭和大学のF先生とブロックを一緒にやっていて気づいたことがあります.それは,プローブをいかに固定するかです自分が「この画像で穿刺する!」という画像を勝負画像と僕は読んでいます.勝負画像を出していても,ブロック針を穿刺する際に,刺入する際の力を皮膚に伝えてしまうことで,刺入点で皮膚が動いて,プローブも間接的に動かしてしまいます.結果,針も描出されないし,勝負画像も消失するという二重苦に遭遇するはめになります.五所川原の佐藤裕先生は,このことを「皮膚に刺したことを教えるな!」と表現して指導されています.

皮膚に針が刺さったことを教えないためには,プローブをいかに患者の背中に固定するかが大事です.プローブを腕の力だけで固定してはいけません.体の重心移動で皮膚に圧迫して固定します.適切なテーブルの高さにして,脇をしめて,肘を体幹の前腋窩線あたりに密着させて固定します.また,自分の身を手術台に預けるようにすると,さらにプローブ固定が強固なものとなり,針の刺入でプローブが動くことはなくなります.

2012年1月2日月曜日

サッポロ生ビール

今日はちょっとだけ,麻酔と全く関係ない小ネタを話します.僕の実家はその昔は岐阜でも有名な酒屋さんでした.岐阜の酒造メーカーの千代菊の経営に僕の祖父が携わった経緯もあり,従業員をたくさん抱えて営業していました.そんなわけで,家には昔の酒屋さんが使っていたものがあります.


みなさんが飲み会の始めに頼むお酒は「とりあえず,生ビール!!」だと思います.1960年代,まだ冷倉庫が各家庭になかったころ,家で飲むビールは瓶詰にして,熱処理をされていました.当時として,熱処理をしないビールは,大きな冷蔵庫をもっている飲食店でしか飲めなかったのです.熱処理をしていないビールは,生ビールと呼ばれて,木製樽にいれて運ばれていました.初めて生ビールを販売したのがサッポロです.僕は父がまだこの木製樽を肩に担いで配達していた姿をおぼろげながら覚えています.今は,飲食店の業務用の樽は金属製になってしまい,瓶ビールも樽出ビールも中身は変わらない.お店でしか飲めないビールがあった時代のほうが楽しかったかもしれません.そんな懐かしい生ビールをいれていた木製樽が我が家には二つ残っていました.母は部屋のオブジェとして使用しています.年季が入っていい味を出しています.一時期,家の屋上に置いていたため,木の一部が朽ちていますが,他の部分はしっかりしています.


15Lの木製樽で,369という番号がついています.製造番号なんでしょうか.木製樽が流通しなくなるときに,父が問屋に戻さずに保管していたようです.新築の我が家に持って行こうとしたら,妻から却下されました.僕としては,上に布をかけて玄関先のイスとして使用してもよいかなと思っているのですけど.

2012年1月1日日曜日

あけましておめでとうございます.

麻酔科医のみなさん,あけましておめでとうございます.大晦日は紅白歌合戦をみてましたが,福山雅治のところで力尽き,布団の中に潜り込みました.本年もよろしくお願い申し上げます.