2013年12月27日金曜日

お別れ

僕にとって、超音波ガイド下星状神経節ブロックを世に出せたことは医師として誇りである。ご存知のとおり,星状神経節ブロックは,かつては危険を伴い神の手が存在した手技であったが、超音波ガイド法によって誰もが安全に確実にできるようなものに変わった。その手技開発に多大なる影響を与えたOさんが仕事に一区切りをつけ、今日、お別れを言いにきてくれた。

彼女がいった一言がなければ、未だに多くの患者とペインクリニック医が、このブロックの合併症につきあわなければならなかっただろう。当時の僕は星状神経節ブロックが超音波ガイド法でできないか,試行錯誤していた.解剖死体研究で,頚部交感神経幹の走行位置を把握し,適切な刺入ポイントをみつけた.問題は,盲目的手技に近いアプローチで穿刺できる超音波ガイド法にすることだった.そうでなければ,これまで多くの諸先生達が培ってきた手の感触が無駄になるからだ.しかし,当時はリニアプローブとコンベクスプローブしかなかった.どれも星状神経節ブロックを自分のコンセプトで行うには大きすぎた.そんなおり,Oさんが小児用のマイクロコンベクスプローブをもって,「これで何か新しいことできないですか.」と訊いてきた.僕は目の前にぶら下げられたマイクロコンベクスプローブをみて驚き,喜び,はしゃぎ,Oさんに「これだよ.これ.」と言ったのを覚えている.その2,3ヶ月後には,僕は超音波ガイド下星状神経節ブロックを東京で講演することになった.

僕の開発した超音波ガイド下星状神経節ブロックは,北米のペインクリニック医師にも衝撃を与えた.IARSやASAに行くと,「あなたがDr Shibataか?超音波ガイド下星状神経節ブロックのShibataか?」と何人もの人に尋ねられ,「あなたは,ペインクリニックを大きく変えた.」とまで賞賛してくれた.

今日のOさんは僕の顔を見るなり,その目には涙が溢れていた.それは超音波ガイド下神経ブロックという分野の開拓者として、共に歩んできた証.僕も涙を流したかったが,ぐっと堪えた.

実は,彼女の上司Kさんは,僕の人生の分岐点において勇気を与えてくれた.KさんとOさん,この二人は,自分の人生において運命的な人達であった.今年は,自分の人生を変えてくれた二人が次ぎのステップに進まれることになった.二人に感謝とエールを送りたい.本当にありがとうございました.

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